桜とGANMA Onと

 今では廃校になって新しい校舎ができあがり、「くさっているから」という理由で大した歳でもないのに伐採された母校の桜があります。その桜並木の横には小さな道があって、最寄駅から家に車で帰るときには必ず父はそこを通りました。いつかの春、父の走らせる車で何気なくその桜をぼーっと眺めていました。父が「桜、きれいだな」と言うのですが、いかんせん私も何気なくぼーっとしていたので何も答えません。さみしく思ったのか、父は「大和の国に生まれたのだから。桜をめでる心くらい持ち合わせたらどうだ」と云います。当時僕は桜をきれいにおもうことすらできないなんて、と言われている気がして、なによりなんで「大和の国」なんて言葉を使ったのだろうかとも思いつつ。なんてことない話ですが、どうにも忘れられなかった父の教えのひとつです。

 高校の古典の授業で忘れられない授業があります

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春のこころは のどけからまし

伊勢物語や古今和歌集に出てくる在原業平の歌の解釈の授業です。簡単に言えば「もし世の中に桜というものがなかったのならば春の人々のこころはもっとのどかなものであっただろうに」といったものです。解釈が一通りおわると古典の先生が「ここに、桜の何がきれいか説明できるひとはいるか」と聞いてきました。ふと父の教えを思い出しました。ものごと意味が分からなかったことほどにわかった時の衝撃はつよいものですね、単なる高校の一つの授業ですよ。よく私も覚えているものだ。私は「なんできれいなのかはわからないけれども、1000年以上も昔の人がおんなじものに惹かれて集まって騒いで歌までのこしていて、それだけでも見る理由には十分ですし、何よりおんなじように今日でも人が桜に惹かれて騒いで写真を撮ってしている、そのことに神秘性を感じる」と答えると、ここまで話せる人はそういない、たいそう先生は褒めてくれました。伝統、文化の根源は時間であると、時間による淘汰を耐え抜くには一定の、それこそ形而上学的な、我々のちょっとやそっとの考えでは到底追いつけないような意味があると、そういうお話であったと思います。たしか皇統の話に際して竹田恒泰先生も同じことを言っていたと思います。

 なんで先人は桜を選んだのでしょうか。近い時期だと例えば梅でないのは?なんで咲いてる桜なのでしょうか、葉桜だってきれいだし、いっそのこといっぱいいっぱいの花びらのじゅうたんの上に揺らぐ若葉だって情緒がありそうだ。そもそもなんで我々は年に一度桜の木の下で馬鹿をする日本という国に生まれたのでしょう。偶然と言ってしまえば素っ気ないですが「縁があったから」と言ったらどうでしょうか。導くという言葉はもともと道引くという風にかいたそうです。神仏など力あるもの(偶然)が我々迷える子羊の手を進むべき道に引いてくれたそうです。ご縁とはつまり偶然にして必然という風に云っても過言ではないのです。どう転がるかわからない。今を作り出した自分の背景も、自分のこれから切り開いていく運命も、自分の一生は俯瞰すれば結局一本の道ですから、そうするとその道へ我々を引いていくご縁は、、、もはやご縁とは自分の人生といってもいいのではないでしょうか。そうだ、我々はありとあらゆる縁を大切にしないといけないのだ。


 さて。無理やりですがこの話を今回の主題につなげたいと思います。なぜ長々と桜の話をしたかというと、まぁどういう考えをしている人が会長の後を継ぐのか。どうにも普段は公開アカウントには顔をださないので、自己紹介代わりに、せっかくなので

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コロナ禍になる前にいち早く世のオンライン化を予見し、オフ会をオンラインで開催しよう!!!という天才鬼才の考えだした英知の結晶『GANMA ON』が今日!8月第一土曜日の22時より開催されます! 参加いただける方は是非どうぞ!!!

 去年8月のOn会告知の会長のツイートです。そして、その天才鬼才の考えだした叡知の結晶を引き受けましょうか、というお話をしているのが私ことささみです。あまり見ない名前だと思われる人もいるかもしれないので誰かというと、On会でよく上がっていた話ができない文系のほうです。はぜさんじゃないほう。過激派のやつ。

 さて、ひとりでは面白い話もできないし、人望もない。普段は鍵アカウントに引きこもっていて特別GANMAの凄い話をできるわけでもない。挙句の果てには代表ゲストの先月の会長最終回を聞き逃すような始末なやつがどうして今回会長の後を継ごうかと思ったかといいますと、いや、だってさみしいじゃないですか、って。たださみしいっていうだけでなんとかなるナリも人間でもないですし、かっこ悪いですから、かっこつけたことを書きたいと思うんです。

 平成生まれな私にはoff会という集まりの場は自分がこちら側の住人になった頃からあるものだから、自分は怖いから参加こそしないけれど、そういう場があること自体はいいことだっておもっていました。だって何かに熱中できるという、とても尊いことができる人々があつまって、その場がつまらないわけがない。ただ、小学校のSNSの授業ではネットの人にあってはならないと教えられるし、やっぱり怖い空間でもある、警戒してしかるべき、でもその空間へのある種の憧憬はあって、そんなときに、ならインターネットにすればいいじゃんと、何たる慧眼。これは脱帽。こんな文化絶やしてはいけないよって思うんです。

 オンライン化への先見の明とか、そういう話じゃなくて。ラジオでもなくて、ユーチューブでもなくて、学校の友達と話すのでもなくて、Twitterで話すのでもなくて、母体発想がオフ会であったとしても、根本どこか違う。初めて見る空間、どこかいびつなようで、でもどこか愛おしくて、それが無くなってしまうってさみしいじゃないですか。これがひとつ。

 ふたつめだけど、しっかりご縁の話もあるんです。こっちが多分一番の理由。 GANMA界隈の治安の良さっていうのはよく聞く話で、たぶんだからこそこの集まりが成立するのかもしれないのだけれども。多分みんな、ゆっくりな人が多いんですね。それがいい世界であるというのもありますけれども。だからこそ、集まる空間が必要だって思うんですよ。別にみんなの関係性を疑うわけでもないけれども、それでも、みんなゆっくりだから、すれ違うことも多いかもしれないし。「無理にでも時間を作らないと疎遠になってしまう」ような関係性ってやっぱりあると思うんです。もともと少し新しい形の、形だから。なおさらそう感じるかもしれないです。でも、それだって大切にしたいじゃないですか。そんな仲なやつなんて捨て置けばいいと思う人もいるかもしれません。でもね、別に友達に必ずしもならないといけないわけでもないし、ただ月に2時間くらいちょっと一緒にいて、話したいことだけ、話していいと思えることだけ少し言えばいいんです。仲良くなるのはそこで「お。こいつ面白いこと言うじゃないか」って思えるやつとだけ、仲良くなればいいじゃないですか。それで十分。でもそのご縁も、そんな空間も。楽しいですし、大切にしないとって思うんです。

 そして、な、に。よ、り。空間がたくさんコンテンツがある空間だから、機会があって、ある種「集まらなきゃ」という強制力があって、空間があって初めて交わった縁があるかもしれない。だって私もそもそもは双無しは読んでなかったけど、代表のおかげで読んで今では作者の先生にTwitterでフォローもらって大歓喜する人間になりました。すごい尊い場所だと思いませんか?僕もよかったら、そんな空間を提供できるような人間になりたいじゃないですか。

 

 まぁ、僕の思いのたけなんていいか。とりあえずとにかく、僕がどうやら会長の後を継ぐみたいです。責任重大です。終わらせたくないから、とにかくみんな、来てくださいよ。民なんでだべりましょう。 でも、僕喋るのも話ふるのも、下手だからとにかくコメントぶち込んでくださいよ、よかったら、コラボに上がってください。僕が今日ここで言いたいことはこの最終段落だけですね。いいからみんな。きておくれぇ。

 

 それでは今日10時ごろから。またリンクはお送りします。


P.S

このブログ、久しぶり更新だし、そもそも何も書いてないような空間ですけど本当は一部の人しか公開してなかったりするんですけど。僕の鍵なメインTwitter(@rose_camellia1)とともに、On会安定するまでGANMAの人限定で開放するつもりです。よかったらあわせて。

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